FROQ

by puke&cry
4月 16
Permalink

(元記事: chipsandbeermag (wabisabiforrobotsから))

Permalink
rrukk:

maskdeuh: The Snake Brothers/Mamushi no KYODAI BUNTA SUGAWARA & TAMIO KAWACHI with HIROKI MATSUKATA まむしの兄弟 恐喝三億円 (1973)

rrukk:

maskdeuhThe Snake Brothers/Mamushi no KYODAI BUNTA SUGAWARA & TAMIO KAWACHI with HIROKI MATSUKATA まむしの兄弟 恐喝三億円 (1973)

(halfdryから)

4月 15
Permalink
rikaorlanda:

Tyler
"Think outside the box"
Mumbai, India.
(via)

rikaorlanda:

Tyler

"Think outside the box"

Mumbai, India.

(via)

(smoothから)

4月 09
Permalink

(出典: mascotboy)

Permalink
it8bit:

Atari Cartel
Created by Arturo Liceaga

it8bit:

Atari Cartel

Created by Arturo Liceaga

Permalink
3月 30
Permalink
it8bit:

The Hippo King
Created by Matthew Smith

it8bit:

The Hippo King

Created by Matthew Smith

3月 26
Permalink

(元記事: lazybonesillustrations (dtybywlから))

Permalink

(元記事: stonywatson (loudminorityから))

3月 25
Permalink
3月 20
Permalink
medicinals:

Hugh Frost

medicinals:

Hugh Frost

(元記事: americanzen (nurumayuから))

Permalink

(元記事: spaceghostzombie (wabisabiforrobotsから))

Permalink

私が中学生だったころ、誰か とつきあっている女の子は、ときどき自転車に乗らずに学校に来ていた。男の子の自転車の後ろに乗せてもらって帰るためだ。彼女たちは少しはずかしそうに、 でもどこか誇らしげに、幼い「彼氏」の肩に手をかけて河川敷を走っていった。ときどきどちらかが何か言い、ふたりで笑っていた。何を話しているのかな、と 私は思った。とってもうれしそうだ。私もいつかああいうことをするのかしら。

十九になったとき、仲の良かった男の子が川の近くに住んでいた。私は彼に訊いた。自転車もってる、あのね、自転車の後ろに乗せてほしいの、そ ういうのやってみたかったの。

彼は親切な男の子だったので、もちろんそうしてくれた。春の終わりの晴れた日の、風の弱いきれいな昼下がりに。でもそれはただの二人乗りだっ た。その日はただの春の日で、私たちがしたことはただのデートだった。

私はありがとうと言った。私はかなしかった。私はもうすぐ成人で、男の子の自転車の後ろに乗ることが特別であるような年齢ではなかった。その ことがよくわかってしまった。自転車の後ろに乗って河川敷を走るのは、十五歳までに済ませておくべきだった。その行為はその年齢においてのみ、恋のアイコ ンとして機能する。十九になってしまったら、もうそれを手に入れることはできない。

それから更に十数年が過ぎて、私のアイコンはさらに少なくなった。時間が過ぎてゆくごとに、いろいろなことが当たり前になってしまう。同じ行 為をなぞってみても、かつてそこにあったはずの特別さはきれいに失われている。

最初にアルバイトをしたときには、タイムカードさえ特別だった。それは自分が誰かの役に立つことができ、それによってお金を稼ぐことができる ことを示す、たのもしい記号だった。私は誇らしくそれを押した。がちゃんと音がしたことをよく覚えている。いい音だった。私はもうあんなふうに働くことは できない。

私はすべての特別さを消費してしまったのだろうか、と思う。すべてのあこがれを、すべての熱を、世界とじかにつながるための神聖な儀式を。

そんなはずはない。私はまだそんなに長く生きていない。私はこれから、三十二歳のうちにしておくべきこと、三十五歳までにしておくべきこと、 四十歳になったらするべきことを探さなくちゃいけない。そのときだけ特別に感じられることは、この先にもきっとあるはずなのだ。

3月 17
Permalink
俺、老人苦手。

「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。

老人慣れしてるヤツってスゴイ。

電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。

年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に
常にいっぱいいっぱい。

敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだか
わからなくて、困る。

胃が痛くなる。

親がいなくなると、話題ゼロ。

田舎帰るの嫌い。

で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、
親の帰省に付き合わなくなる。

高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。




ところが、

去年、じいちゃんが死んだ。

葬式はさすがに帰省。

正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。

ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。




それから一年。

親父がいきなり

「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」発言。




いやいやいやいや、ないないない。

とか、とても言えない。

親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を
繰り返していて、一人で暮らしていくのは厳しいと医者から
言われたらしい。

いや、うん、でも、えーと。

俺だけではなく、何となくどんよりとした空気が家族に流れる。

誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。

母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。

妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。




で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京の我が家に越してきた。

母さん余所行きの笑顔。

妹、部屋から出てこない。

俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。

福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、
ばあちゃん、変な自転車持ってくる。

六蔵って書いてある。

すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔。

そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。

母さんと気の使い合い。

たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。

家でリラックスできない。

ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。



2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。

入院してた病院の看護婦さんかららしい。

その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、

手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。

じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、

ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、

「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。

 もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

 死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」

と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。

10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、

あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。



その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。



「自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」



ユウちゃんは、俺。

ばあちゃんは90オーバー。

さすがに止めた。

ばあちゃん、自転車経験もちろんゼロ。

先月まで、病院でリハビリとかしてた人。

家族、総出で止めた。

全然、折れない。唯一の戦前生まれ。



朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。

あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、
ほんとに困るからね!」と小声で念押し。




その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。

話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。

敬語。目、合わせない感じ。

やや呆れ気味で、練習開始。

はっきり言って、全然乗れない。

足をペダルに乗せる段階から無理。

跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。

ペダル漕ぐとか、全然別の次元。

二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。

毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。

「今、学校ではどんな勉強をしてるの?」

「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」

そればっか。

じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。

三日目にして、俺ギブアップ。

買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、
先に帰ってくる。

んで、気付いた。

サドル高すぎ。

油をさして、錆びだらけの自転車のサドルを一番低くする。

翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。

「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」

拝まれる。

でも90歳のバランス感覚は風前のともしび。

漕ぐとか本当、別次元。

なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。

俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。

全身筋肉痛。

この頃になると、帰り道は第二次世界大戦話。

空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、
自転車くらい乗れる気がしてくる。

10日する頃には、どうにか漕いでる。

ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。

ふらふらなんてもんじゃない。ドリフだ。

で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、

支えてたけど、二人で転んでしまった。

ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。

血が出てる。

死んだんじゃないかって本気で思った。

救急車呼ぼうかと思った。

ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。

俺、さすがにショック。

ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。

家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。

その日の夕飯、ばあちゃんが話す。

じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。

それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、
そんなじいちゃんをよく見てたこと。

六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。

そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って
「みんなも元気で」って町のみんなに手紙を書きたかった、と。

福島で生まれて、福島で生きてきた。

90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。

「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」

と言う。

次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。

洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。

すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。

「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから!

 もう一回乗ってみろ!」

親父、補助輪買ってきた。

それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターを
ばあちゃんに渡した。

母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。

バカ家族。



それから、我が家では夕方になると、家族総出で公園。

公園で自転車の練習。



そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。

それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、
息を切らせて公園に戻ってきた。

「ビデオ!お父さん、ビデオ!」つって。

で、まるで我が子の自転車デビューを撮影するかのように、

90歳のはじめての自転車を撮影。

公園の端から端。

「ばあちゃん、手離すよ!行け!」

ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。

ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。

「行けっ!行けっ!」

「いいぞっ!いいぞっ!」

ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。

親父の声も、裏返ってる。

20メートルくらい、新記録を漕いだ。

すげえ。すごい。すごい!

親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、
ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。

俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、

目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、
もう たまらなくなってしまった。

骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。

あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。

なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。

ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。



その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、
とても見れたもんじゃなかった。

親父、感動しすぎ。

もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。

仕方ないから、福島へは写真を送ることになった。




それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。




もっと一緒に暮らしましょうよ。

もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

もっと一緒にいたいですよ。

ずっと一緒ですよ。

を体現してるみたいに。
LOOTONE (via takudeath)

(yosukeから)

3月 15
Permalink
nctryzob:

椿カスミ (サスケ)

nctryzob:

椿カスミ (サスケ)

(bakochinから)